母は私が1歳の時から
エホバの証人の訪問を受けていました。
子どもの頃の私は
誰かが自宅を訪ねてくるのが楽しくて、
「ピンポーン」となるのが嬉しかったです。
訪ねてくる誰かが、
「宗教の勧誘」であり、
母が入信のための勉強をしていたと
理解したのは小学生になってからでした。
Contents
母が訪問を受けるまで
母は26歳で私を出産。
父は29歳で県立病院の公務員でした。
私を妊娠中に転勤となり、
実家から車で5時間離れた土地へ
引っ越しとなりました。
父は夜中に仕事の呼び出しがある日もあり
平日は忙しく、土日は寝てばかり。
初めての子育てで
頼りになる人は誰もいなくて、
祖母や母の姉や妹との電話を
何時間もする日々でした。
そんな中、エホバの証人がやってきます。
エホバの証人が訪問してきた
最初の訪問は私が1歳くらいの時。
もちろん記憶は無いです。
その女性(A姉妹)は長老の奥さんで
その頃40代後半くらいの方でした。
家の近くに住んでいて、
子どもはいないご夫婦でした。
A姉妹は毎週自宅へ訪問してきます。
私の記憶がある頃には
自宅の居間に上がり、
「聖書研究」が始まっていました。
「聖書研究」はA姉妹のお祈りから始まり、
その頃は「進化か創造か」の青い本を
勉強していました。
他にも何冊か勉強したようですが、
忘れました。
「論じる」とかかな?
4歳の私は眠さと戦う
居間での研究が始まった頃、
私は4歳くらい。
眠くなって途中でうとうと。
「向こうでねんねしてていいよ」と
A姉妹が言ってくれるのですが、
最後まで座っていると褒めてもらえるのが
分かっているので眠くても最後まで
座っていました。
研究の最後も
A姉妹の祈りです。
研究が終わると
母がお菓子とお茶を出して話が始まり、
しばらく話すとA姉妹は帰宅。
幼稚園も保育園も行っていない私は
よっぽど退屈だったのか
A姉妹の訪問は大好きでした。
研究中にお絵かき
じっと座っている私を見かねたのか、
A姉妹は私に楽園の絵を描くように
言ったのを今でも覚えています。
「楽園」と言われても、
「聖書物語の本」にある
あの挿絵しか思い浮かびませんでした。
「楽園に行ったら何をしたい?」と聞かれて、
「キリンに乗りたい」と言うと
その絵を描くように言われました。
キリンの首にしがみついているような
絵を描いたのを今でも覚えています。
今考えると、キリンくらいなら
楽園でなくても乗れそう。
乗れないかな?
6年ほどで入信
母は最初の訪問から6年ほどで
入信しました。
母が言うには「長かった」とのこと。
他の人はもっと早く
入信しちゃうんでしょうかね。
母は入信までが長かったからこそ、
しっかり考え抜いた結果で
「これが真理だ」と確信し
それが揺らぐことは無い証なんだそう。
まぁ確かに、娘が排斥されて
絶縁状態になろうとも
エホバの証人を続けられるのだから、
強い確信なんでしょうね。
孤独を救った宗教
母は「孤独」でした。
父は優しい人だったけど
子育てには無関心。
「男は外で仕事をしていれば良い」という
昔ながらの考えも大きかったかな。
そんな中、子育てに役立つ情報を持って
エホバの証人がやってくるんですもん。
話すよね。
お金もかからないし。
ここもポイント。
お金を取られないんです。
旦那が働いている間に
宗教でお金を使うというのは
悪い気がするけど、
お金は全くかからないんです。
子育てについて聞いてくれる人がいて
自分の気持ちも楽になり、
旦那にも優しくできるよう
心を整えられる時間が得られる。
子どももその時間が好きみたい。
訪問を断る理由が無いんですね。
毎週訪問してもらえば
A姉妹は本当に頼れる存在に。
母はエホバの証人になるべくしてなった。
そんな感じです。
母がエホバの証人でなければ良かった?
私は「母がエホバの証人でなければ良かった」と
実は全然思わないんです。
母は父との結婚をやめたいと思っていたそう。
最終的に結婚する流れになったけれど、
「どうしても無理なら
離婚しよう」と思っていたと。
私が成人するまでの間、
私の両親は仲良しでした。
子どもの前でケンカすることなんて
一度も無かったし、
母は父を尊敬し支えていた。
でも、それは宗教のおかげでした。
母の中で「頭の権」という
ワードが大きく響いていたようです。
「家族の中で父親を一番敬うべきで
大事にする」という
考えが常にありました。
エホバの証人の教えに背くことで無い限りは
父の考えを尊重するという態度は
一貫して変わりませんでした。
きっと母がエホバの証人で無かったら
家庭は崩壊していました。
私が仲良い家族として
子ども時代を送れたのは
エホバの証人のおかげだったのです。
「それって本当の形じゃないよね?」って
思う人もいるかもしれないけど、
私はあの子ども時代を素晴らしく思っています。
もちろんエホバの証人二世としての
苦しみも悩みもあったけど、
親に愛され守られていたあの頃は
気楽で良かったなって思います。
でもね
でも、普通の母親はエホバの証人でなくても
夫と良い関係を築こうとするし、
子ども達を心から愛することができるんです。
母はそれができなかったんです。
だから、エホバの証人になった。
そう思えば私は母を許せるし、
母はエホバの証人を辞めてはいけないと
思うんです。
矛盾
ある意味、矛盾です。
エホバの証人の教えは間違っていると
思っているのに
母には辞めないでほしい。
やっぱりね、母の心の支えは
ずっとエホバの証人なんですよ。
それを取り除く事はできない。
絶縁状態だけど
今は本当に絶縁状態。
唯一私からSMSを送ることだけできる。
でも返信は無いし、
見てるかどうかも分からない。
ただ、私の祖父(母方)からのお米を
送ってくれている「送り状」が
母の字であることは分かっています。
そこで繋がりを感じるくらい。
母の孤独を癒やした
「エホバの証人」という存在を
私は嫌いにはなれないのです。